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第4話:番茶の味 | |
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身土不二「身土不二」。元々は仏教の言葉だが、「身体と土地はひとつのもの」という意味で、「自分の住んでいる所で取れた食品を食べるのが、一番健康にいい」という教え。出来れば、釧路・道産、せめて国産の食べ物が、やはり身体に良いのである。最近流行の「地産地消」とも似ている。なるべく地域でモノ・カネを循環させようという同友会の理念にも通じる。 待合室では、友人の農家から直送の無農薬野菜も販売しているが自宅の庭先での家庭菜園が一番の「身土不二」だろう。
無為自然「今宵酒あれば、今宵酔う。明日憂い来れば、明日憂う」。なんとも良い言葉ではないか? 今年、熊野三山・吉野山を訪れた時に買い求めた「修験道のこころ」という本に書かれていた言葉である。 実際は「病気になったらどうしよう。一人になったらどうしよう」とあれこれ、まだ来ぬ憂いに右往左往することが多い。 そして、その憂いの強い人ほど、病が癒えるのに時間がかかる。 野に咲く花のように、雑草がそよぐように、自然に生きることが出来れば幸いである。
心身一如壊れた部品を直す機械修理と、東洋医学の治療法は大きく違う。例え肩が痛いとしても、身体全体を整える。 さらにストレスにも原因があれば、それも整える。 釈迦は「病の三毒は貪欲・怒り・愚痴」と言っている。確かに「食べすぎて、イライラし、不平不満だらけ」の人はよく身体を病む。 まさに、心と身体は一つのものである。 だからなのだろうか、「病に感謝する」ことが出来るようになった人はその後の治り方が早くなることが圧倒的に多い。
一灸入魂難病の代替療法で有名な「帯津病院」の帯津院長は、一本の注射を打つ看護師にも「気を入れて打て」と言う。注射の効果もそれによって、違うらしい。ましてや「気の調整」を主とする鍼灸治療において、鍼をするにも、灸をするにも「気を込めて」するのが大事である。 普段は私の好きな、酒と医の神様である「少彦名大神」を祭った神棚を朝に拝み、気を充実させてから治療にあたるようにしている。 ところが、夜のうちに盃を交わし過ぎた翌朝は、拝み忘れることもある。
代替医療アメリカ人の半数近くが、鍼灸やアロマなどの西洋医学以外の療法である「代替療法」を受けているという。日本でも近年、代替医療の学会が盛んになってきている。そこには催眠療法や加持祈祷さえも含まれている。 形成外科の第一人者だった葉室頼昭先生は、医師を辞め神職に付き、今は春日大社の宮司として活躍している。これも広い意味での代替医療なのかもしれない。 テレビなどで氾濫する健康情報で何が本物で、自分に合うかを見極める力が必要となってくる。
釧路新聞コラム「番茶の味」(2004/8/15〜21)より抜粋 |
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