タイ古式マッサージもツボが使われており、
解渓(胃の経絡)のツボがよく使われています。
取り方としては、
足首を上に曲げる(上げる)と足関節のところに太い腱が3本現れます。親指側から2本目と3本目の間にある窪みがツボの位置になります。
(内くるぶしと外くるぶしを結んだ線のちょうど中間あたりです。
このツボはむくみや頭痛、めまい、腹痛、膨満感、便秘にいいツボとして有名です。
今日からプロフェッショナルコース(後ろと横の面)を学び中です。
プロフェッショナルコースはアクロバティックなやり方が多くてワクワクします!
そして合格できた!ということで
二葉鮨さんに初めて行きました!
1人で回らないお寿司やさんというちょっと背伸びをしてみました。
16歳で釧路に来て、62年。
鳥取で店を持って、53年。
くしゃっとした笑顔で笑うご主人。
その笑顔でとってもその人のことが好きになってしまいました!
少しドスの効いた声が店内に響くのも大将!という感じが素敵でした。
魚は今年、3倍ほぼ3倍に値上がりしたそうです。
まあ、売れた時は売れさせてもらったがね、はっはっはと笑うご主人。
壁には昭和30年の時の釧路の地図が貼られていました。
商店が所狭しと並び、
「浜釧路駅」「春採駅」など、
今はもうない駅名もありました。
聞いてみると、昔は炭鉱が盛んだったため、
雄別線というものがあり、
今の鳥取の製紙工場のあたりにも線路があったり、
「中園駅」なるものもあったそうです。
阿寒町にある雄別。
今は有名な心霊スポットになったりしていますが
昔は質のいい石炭が取れることで有名でした。
1は夕張、2は雄別と言われるほどだったそうです。
それだけに、火力のいい石炭はガスが出るので、
怪我人、爆発事故は相当な数だったと言います。
その石炭を運ぶための線路が現在はすっかりなくなっています。
今駅の方にあるプリンスホテルや市役所も、元は線路だったと教えてもらいました。
全く今は跡形もありません。
あのプリンスホテルの場所に線路があったなんて信じられません、、!!
鳥取にある製紙工場は1000人以上の人々が働いていて、
その1000人に家族がいるものだから、
鳥取地区はとても人が多くて、夜遅くに飲んで歩く人がたくさんいたとか。
本当に、すごく人がいたんだあ、と仰っていました。
昔は米町などの上の方が中心街だったそうで、
そこに市役所ほか、重要な建物が多かったそうです。
53年、変わっていく街の中で、
看板が味わい深くなっていく二葉鮨さん。
サーモンが高騰し、安いものを仕入れていく方が増える中、
美味しいサーモンを選んで仕入れており、
なんだか食べたことがないくらい口の中がとろける味でした!
ご主人、ずっと笑っててほしいので
また何かのお祝いの時に行こうと思いました!