「海辺のカフカ」に引き込まれて以来、
ハルキストとまでは名乗れませんが、
村上春樹さんのファンです。
今年は、お正月に
紀行文集「ラオスにいったい何があるというのですか?」
を皮切りに
「スプートニクの恋人」
「風の歌を聴け」を読み、
映画「ドライブマイカー」を観ました。
そして今は、
「騎士団長殺し」を読み直していて、
ファン再熱となった年となっています。
私にとって村上春樹作品は、
コメディとも分類しているほど
笑えるところが多いのが醍醐味のひとつです。
ありえない展開に巻き込まれるも流れに任せ、
それでもいつも自分とその状況を
冷静に客観視している様がギャップとなって
感情に揺さぶりをかけられます。
どんなことでも一歩引いて見てみると
真面目なものほど面白さが
多く隠れているように思わせてくれます。
読後はいつも、
結果に対して一喜一憂することではなく、
全体的、包括的なものであり、
その人なりの人生の物語の一部だと捉えることになります。
5年前に読んだ「騎士団長殺し」も
先の展開を知っているからこその面白みを
満喫しています!
「そこは、心配しなくてもいいところだよ」
「その読みは、鋭い!」
などと登場人物に話しかけながら
優越感に浸ってしまうのですよね。
反対に、こんな描写あっただろうか?
という場面も多くあるから驚きです!
それが結構大事な台詞だったりするので、
私はいったい何を読んでいたんだろう?
と先ほど出来上がった上から目線の優越感は
見事にへし折られることとなります。
そのひとつに、「日本画の定義」から
「自己と他者の関係」についての考察が
とても興味深いものでした。
明治維新以降、日本に西洋文化が入ってきたことで、
それまで「日本画」というジャンルはなかったのですが、
洋画と区別する概念としてできたそうです。
いわば、「内圧と外圧の接面」
としての結果的に生まれたもの。
それは、
「他者を前にした自己の定義」
と通じるのではないか。
と考察されていました。
はっきりとした自我の目覚めは、いつ頃からだろうか?
と私自身振り返ってみると、
幼稚園に入って、沢山の人の中にいるひとりの自分というのを確かに感じた時ではないかと思うのです。
他者の存在を理解して、そして確かに自分があると明らかにされたような感覚でしょうか。
楽しさよりも怖いような感じがあった気がします。
大勢の人がいるのに、ひとりのような気もしたものです。
今まで考えなかったことを思い出したので、遠い記憶にハッとさせられました。
そしてこれは、
アロマトリートメントにも似ているものではないかと思いました。
トリートメントで施術者の手が体に触れることにより、
他者と自己のまさに接面を感じることになるからです。
接面をはっきりと感じることは、
とても安心を覚えるものです。
決して他者が入ることのできない自己の領域を知ることになるからです。
そして同時に自分を知ることにつながります。
自分の呼吸の仕方、皮膚の硬さと柔らかさ、体各部の形状や大きさ、
そういったことは、毎日お風呂に入ったり、
着替えなどをして自分では理解しているつもりでも、
他者が存在することにより、また違った見解がされるのではないかと思います。
他者を通しての自己の確立がなされます。
それが完全なる安全な空間であれば、
安心して自己との対話ができたり、
遠い記憶が呼び覚まされたりして、
心も体もほぐれて癒されることにつながります。
体のコリ方もその方それぞれですので、
ただの肩コリ、疲れと一括りにせず、
どのような張り方、疲れ方なのか、
どういったときに起こりやすいのか、
もっと自己を知ることの可能性は
まだまだ大きなものかもしれません。
自分自身について知らないことの方が意外にも多いのではないでしょうか。
「自己と他者の接面」という観点から心と体の両面のアプローチができるようなそんなアロマトリートメントの可能性ももっと広げていきたいと思いました。
本の読み直しも自分の変化を見るようで楽しい作業です。
5年前は単行本で読んでいましたが、
今回は重さに耐えられず、
文庫本で読んでいることも
そのひとつと言えるのですけれどね。
高橋千香子
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